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第42回岸田國士戯曲賞受賞「うちやまつり」選評

平凡な会話の非凡さ

- 井上ひさし氏:選評

ここは平凡な団地の、平凡な空き地。それも正月である。したがって、そこで交わされる会話や対話は、当然、紋切型の挨拶や、それに毛の生えた程度の、実に平凡な会話にならざるを得ない。
ところが、舞台の時間が経過するにつれて、それらの平凡な紋切り型の挨拶や会話のあちこちからトゲが生え出し、そのトゲが見る間に生き物のように成長して長い触角となって絡み合い、深い謎を孕み始め、他人とは出来るだけ付き合いを避けようということを念頭にしているらしい登場人物たちが意外にも「性的な力」によって結びつけられていることがわかってくる。それにつれて、何の変哲もないこの団地の空き地が、大勢の人間たちの殺意を埋めた一種の「聖域」に変わって行く。
一見平凡な挨拶や会話を積み重ねて、空間と人物とを、ここまで一気に変貌させた作者の力量に感心した。感心したことは、これだけにとどまらない。
次に作者が持ち出してきたのは、空き地に捨てられた何本もの古いテープで、どうやらそれは盗聴テープらしい。盗聴されている会話は、当たり前のことだが、もっとも私的なものに属する。
空き地という半ば公的な空間で交わされる平凡な会話と、秘密のたくさん詰まった私的な会話。極端に質のちがう二種類の会話が、みごとな対位法で展開して行き、劇はやがてアンチクライマックスを迎えるが、最後に「聖域」と見えた空き地が、やはりただの空き地に戻ってしまう。
そして、後にのこるのは、「わたしたち現代人は、ひょっとすると、性的なことがらを介してしか意思の疎通ができないのではないか」という、余りにも苦い思いである。ここに痛烈な現代批判がある。
この批評精神を持って、この作にあらわれた会話の水準を保つことができれば、この作者の未来は常に明るいはずである。もちろん作者の行く手に高い壁が何度も立ちはだかるにしても。

重層化された風景

- 別役実氏:選評

今回私は、深津篤史氏の『うちやまつり』を受賞作として推した。現代劇は書き難くなっている。それは第一に、情報としての世界が広がり、状況が重複しあい、ひとつのドラマが他と相殺されがちで無化する傾向にあること、さらには、ドラマを形造るべき対人関係が、地域共同体、家族共同体の崩壊により、構造として確かめにくくなったこと、などによるものと考えていいだろう。
その点をこの作品は、悪戦しながらも他に視線をそらすことなく、正面から捉えようとしている点に、好感が持てた。この種の作品は一体に、解説することが困難であり、敢えて言えば、団地の一隅にある空き地という、風景ならざる風景における、偶発的にすれ違った人々の断片的な関係、とでも言うほかないのであるが、この構図こそが恐らく、我々の通常目にしている「現実」いうものの、最も典型的なものと言えよう。
もちろん、これがこのまま風景として、関係の断片として投げ出されているのであれば、さほどの評価してしかるべきものとは言えないが、作者はここから、昆虫が他とコミュニケートする「フェロモン」のような、いわば「匂い」通じて、それら断片化された関係を探り当てようとする。つまりこの触手が、単に「現実」を「現実」として冷やかに突き放すのではない、新たなニュアンスを、この作品にもたらしているのである。
このそれぞれの「匂い」の触手が、空間の中で雄弁になってくるに従って、風景もまた、単に見たままのそれでなく、時間の層のように見えてくるのであり、登場人物はそれぞれに完結することはなく、いわば「尻切れトンボ」のままなのだが、それも重層化された風景の中で、なごまされることになる。不思議な法則性と、不思議な手触りを持った作品と言えるであろう。

井上ひさし氏が、遅筆な訳

- 野田秀樹氏:選評

私は、方々で井上ひさし氏の遅筆の悪口を言ってきた。演劇ジャーナリズムがなかなかメント向かって批判しないからである。芝居を創る現場から単純に「作家の遅筆は、百害あって一利なし」とお叱り申し上げてきた。だが今年の候補作を読んで、井上氏の遅筆に感じてはならないシンパシーを覚えた。
今年の候補作には「歴史」を扱ったものが多かった。「歴史」を扱う作品は、安易なものと、苦労が偲ばれるものに分かれがちだ。安易な作品というのは、「歴史」が「人間」と結託して、予定された「テーマ」へ向かう。例えば鐘下辰男氏の『寒花』は、誰もが知っている「朝鮮人による伊藤博文暗殺」という「歴史」が「虐げられた朝鮮人」というヒューマニズムと結託して、劇評になりやすい「テーマ」へ向かっている。構成や台詞がうまくないのに、テーマだけは破綻がない。作家としてリスクを負っていない。永井愛氏の『見よ、飛行機の高く飛べるを』は、台詞は小気味よいけれど、やはり「ヒューマニズム」に着地している。その点で、マキノノゾミ氏の『東京原子核クラブ』は、原爆を作ろうとするエリートに目をつけたのは、してやったりであった。だがその後に苦労が偲ばれない。
「歴史」や「人間」で終わらない物語が見えてこない。
大変なことはわかっている。だからこそ、大家になってなお、井上氏は遅筆なのである。私如きに言われたくないだろうが、苦労が偲ばれるのである。「歴史」を扱う作家は、大きなリスクを背負う意思をもたなければ、井上ひさし氏の亜流にもなれない。そのことがよくわかった。
受賞作になった深津篤史氏の『うちやまつり』は、「歴史」や「人間」とはほど遠い作品である。全編に漂うイヤーな感じが面白い。少しずつ沼に引きずり込まれるようなイヤーな感じである。テープレコーダーの使い方が安易なわりには、どうなるわけでもなく、その辺りが積極的には推せない理由であった。だが、沼の中に引きずり込むスペシャリストである別役実氏の「責任を持つ」というコトバを信頼した。

100文字寄稿

第48回公演 『うちやまつり』『paradise lost, lost』に寄せられた100文字程度の寄稿です。
公式Twitterアカウントにて随時更新中→ @toenkai

確か池袋で観た「うちやまつり」が初桃園会でした。繊細な手つきであちらとこちらの境界をすーっとなぞってぼかすような。その後スズナリでのロビー乾杯で、あははと大きく笑う深津さんの笑顔になぜかホッとしたのを覚えています。また拝見できるのがとても楽しみです。

元下北沢ザ・スズナリ マネージャー 瀧川(旧姓:市川)絵美さん

『うちやまつり』とその後日譚『paraise lost, lost』が上演されるという。あの身体にまとわりつくような台詞に再会できる。新たな一歩を踏み出す桃園会、そして深津篤史に会いに劇場へ行くのである。

フリー編集者・元シアターガイド編集部/川添史子さん

深津篤史との出会いは、この「うちやまつり」だった。戯曲にも演出にも衝撃を受け、桃園会の新作を観るために、東京から大阪まで足を運んだ。同世代で初めて一緒に芝居を作りたいと思った人だった。演出をお願いした公演の二ヵ月前に病気が発覚し、その夢は叶わなかったが、いまでも彼の言葉には想像力を刺激されている。一人でも多くの人に、桃園会の舞台に、深津さんの言葉に触れていただきたい、と心底思う。

ネビュラプロジェクト・プロデューサー 仲村和生さん

主婦になるはずだったのに、と毎日泣き暮らしていた私を救ってくれたのは『のたり、のたり』での演出助手の仕事でした。深津さんの戯曲を読み、自分にも芝居に書ける経験がひとつできたじゃないかと思えるようになりました。以来、いまだに深津さんや桃園会さんのお芝居の背中を追いながら不肖の後輩としてここにいます。今回も劇団の本公演に関わらせていただけて幸せです。

劇作家、演出家、虚空旅団*高橋恵さん

第48回公演に寄せて。
劇団にとっての大演出家は不在であるが私たちの中に深津メソッドは存在する。今作2品、上演の度に人の闇、孤独、悲哀が深くなる。また新しい何かが出てきそうな、2作品に出会えるのが楽しみです。

舞台照明 西岡奈美さん

「じゃあ又、ゆっくり」
別れ際にはいつもそう言いあっていた。最後に会った日もそうだった。だから劇場に会いに行くよ。
きっとみんな一緒にいるよね、千童も陸郎さんも遠藤さんも。
「じゃあ又、ゆっくり、劇場で」

俳優、劇作家、コンブリ団主宰 はしぐちしんさん

桃園会を深追いすると私は時に迷うので、深津さんの描く景色に自分の記憶の景色を重ねて、自由に遊ばせてもらっている。今回は深津さんが出会ったらしい「空地」が舞台の2作とのこと。どんな景色が広がるか楽しみ。

ピッコロシアター業務部 田房加代さん

桃園会はどうしたって深津君の劇団だった。彼の存在を消すことなど不可能だ。しかし、追悼公演としてではなく「うちやまつり」をやるという。好き放題やって欲しい。深津君はそういうの好きだったし……って、すぐに彼が顔を出す。見られ方など気にせず、思い切った上演をして欲しい。

MONO 土田英生さん

深津さんに教わった。誠実に物を創ると作風は変わる。阪神大震災を経て、私達のリアリズムは変容した。9.11、東日本大震災、そして…。無かったことにして昔のままの物語は作れない。そうだよね?深津さん。

NHK 松浦禎久さん

「うちやまつり」初演は1997年の年の瀬。お客は少なかった。で、岸田賞を獲ったとき、「受賞作の最少観客記録じゃない?」と作家をからかったら…「鈴江(俊郎)さんには勝ってると思います」。その余りにキッパリとした口跡が今も耳に残る。

朝日新聞 今村修さん

全てが尼崎づくしだった角ひろみさんの近松賞受賞作『螢の光』でご一緒できたのはうれしかった。地域にあっての創造活動にこだわっていた深津さん。私たちもこだわっていきます。

ピッコロシアター 田窪哲旨さん

深津さんが旅立ったことを何処かで、認めたくない自分が居る。っていうかきっと彼は「居る」んだと思う。それは彼が心より愛して止まなかった桃園会が存在する限り、必ず「居てる」んだろう。ほら稽古場の片隅で!

メイシアター 古矢直樹さん

『うちやまつり』、初演は年末。今は亡きカラオケシャトルで歌って呑んで。
再演は池袋の古い居酒屋の二階で呑んで。
再々演は難波で精華で”初”天秤棒。神戸公演はガード下で大竹野さんと呑んで。
さて、高円寺。どこで呑みますか、深津さん。

音響 大西博樹さん

2008年に米国の戯曲のリーディング・フェスに、『のたり、のたり』で参加して貰った。「深津作品の日本的なるものは大阪的なものであり、ぼけ/つっこみは<救い>なんだ」という理解に日米文芸チームが到ったのは深津作品ならではのエピソードだったね。

セゾン文化財団 久野敦子さん

さらっとしてんのか、じめっとしてんのか、ようわからん。夢か現か、私か公
か、好きか嫌いか、どっちやわからん。精華小劇場で再再演された『うちやまつ
り』はまさしくそんな深津さんの代表作だ。…「わからんかあ」、と、微笑まれ
そうだが。

元・精華小劇場コーディネーター 丸井重樹さん

前回の桃園会『覚めてる間は夢を見ない』打ち上げで、ドキドキしながら深津さんにお願いして、劇中でやってたみたいに肩をもませていただきました。そのとき「次もまたね」って約束したんです。だから私はまた、深津さんの登場人物になります。大好きな桃園会の皆さん、深津作品をやり続けて下さい!

兵庫県立ピッコ劇団 木全晶子さん

深津さんは人はなぜ生きるのか?そしてなぜ孤独なのか?を照れながらも鋭い視点で突き詰めた作家だ。
独特なトーンの台詞の行間から、その優しさと切なさ、そして厳しいほどの苦しさが滲んでいる。

渡辺えりさん

一瞬だけ桃園会の劇世界の住人に成ったのは4年前、梅田のマクドにいた私、深津さんから一本の電話…「ダイダラザウルス」という作品の始まりでした。遠い生みの父を失った気分の私は、父無き世界を生きる術を深津さんの作品から予め学んでいた、はずです。

俳優、空の驛舎、C.T.T事務局 三田村啓示さん